1960年代にできた道路沿いから「地価」がついた?

1970年、川口市の公示地価マップ
(公示地価額は国土交通省による)
道路・鉄道網は、2017年現在のもの
田園都市づくりを考えていくため、
川口市の地価の動きを調べています。
 
1970年の公示地価をマップに落としてみると、
興味深いことに気付かされます。
 
現在、川口市内の公示地価地点は、250以上を数えていますが、
当時は、9地点でした。
 
つまり、地価を公示しなければならないような地域が、
少なかったと考えることができます。
 
そして、少数ながら、地価が公示されている地点をみると、
川口駅前の栄町3丁目が3地点、
旧・鳩ヶ谷市域が2地点で、
残りは、川口市の「縁辺部」に限られ、
いずれも、産業道路(さいたま上尾線)、及び鳩ヶ谷街道(東京鳩ヶ谷線)に
近い地点だと言うことです。
 
産業道路は1962年開通、東京鳩ヶ谷線は1960年埼玉県道認定、
1961年東京都道認定されています。
 
つまり、まだ農村部の色あいが濃く、
川口市域の「中央部」は「畑ばかり」と言う状態の頃、
1960年代に整備された道路沿いから、
1970年代になって「地価」が評価されるようになってきた
 
そういうようなことではないかと思われるわけです。

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