価値観の崩壊に対処する

今までやってきた事業・企画・活動が続けられず、撤退戦・再建戦をやる場合、厄介なのが価値観の崩壊です。

実を言うと、撤退後の状態に馴染んでしまう人には、価値観の崩壊は起きません。

再開までの手順を決める

「今までの事業や活動が続けられなくても生きていけるのだったらそれでいい、こう言う生き方も悪くない」と撤退した後の状態に馴染める人と言うのは、元々、あまり、やっていた事にこだわりがなかったのだと思います。

僕はけっこう「馴染んでしまって再開・再建を考えない人」を見てきました。職場で「今後の企業のあり方」みたいな事について高説を語っていた割には、何もしてくれない上司とか、環境問題なり福祉なり教育なりの課題について「こうすべきだ」、「ああすべきだ」と強硬に主張していたのに、結局、活動を辞めて何もしなくなった人とかです。

そういう人達と言うのは、「今後の企業のあり方」についても「環境問題」についても、実はどうでも良かったのです。その時は高説をぶったり強硬な主張をしても大丈夫な状態だったから言っていただけで、本当にその思想を信じていたわけではなかったのです。

ですから、「撤退した後の状態に馴染んでしまえる人」には「価値観の崩壊」は起こりません。信じていない価値観は崩壊しようがないからです。

価値観の崩壊が起きうるのは、本気でその事をやろう、やりたいと思っていた人の方です。そう言う人でなければ、いったん撤退した後、なんとか再建・再開を考える事はできません。

しかし、本気で信じていたからこそ、その信じていた事が実現しない現実に直面しての価値観の崩壊が起こりうるのです。

ここで道はいくつかに分かれます。

一つは「負け」を認められないまま「凝り固まる」生き方です。

自分が信じていた事は正しかったんだ、だけど、実現出来なかった、それは実現できないような状況が悪いんだと言う方向で考えが凝り固まってしまうと、

「愚痴」を言い続ける事になります。

この生き方を選ぶと、価値観の崩壊を防ぎ、自分のプライドを保つ事が出来ますが、再開・再建はできません。

もう一つは、「負け」を認めるあまり、何もかも捨ててしまう生き方です。

自分が信じていた価値観は間違っていたんだ、信じていた自分も間違っていたんだ、自分がなにかをしようとする事自体が間違いだと思ってしまうと、やはり、再建・再開はできません。

現実の壁は分厚く巨大であって、自分には絶対に超えられないものだと諦めてしまう生き方も再建・再開にはつながりません。

では、再建・再開につながる生き方と言うのはなんでしょうか?

自分の根底にある事を否定しない生き方だと思います。

自分がやった事も、信じた価値観も間違いだったかもしれない、しかし、それをやったのは、信じだのは、世の中の役に立つと思ったからだと考えてみてはどうでしょうか。

「これからの企業のあり方」とか「環境問題」についての自分の認識なり行動なりが甘かったり、現実にそぐわない部分があったから、今、継続が難しい状態になった・・・

撤退戦に立ち至っている以上、それは事実です。

しかし、たとえ、それまでの認識や行動が現実にそぐわなかったとしても、「世の中の役に立ちたいと思った」と言う根底にあった動機は間違っていないわけです。

ですから、自分の根底にある事柄は否定しない、ただ、次にはそれが実現できるようにやり方を変えてみる・・・

これが価値観の崩壊に対処しつつ、再建・再開につながる生き方です。

Follow me!

未分類

前の記事

再開までの手順を決める