やりたい事の実現を妨げる行動はすべきでない

撤退戦・再建戦では、取れるものは取り、なりふり構わず行動すべきだと述べてきました。

取れるものはしっかり取る

「非道い」ことでないなら、なりふり構わず行動すべき

矛盾するようですが、なりふり構わずと言っても、その行動がやりたい事の実現を妨げるなら、それはすべきではありません。

僕が農業の仕事を始めた直後、収益はあまり上がらず、生活も苦しい状態でした。

少しアルバイトをしないとダメかなと思っている僕の前に人材紹介会社の方が水質調査の仕事があると言ってきました。

僕は環境計量士と言う公害測定の国家資格を持っています。その資格を活かして働ける場があると言うのです。

その仕事は、これまでにない新しいビジネスモデルで水質浄化に取り組む会社のものでした。

僕は人材紹介会社の営業マンの方に、農業の仕事もあるので無理をしなくてよいと伝えたつもりだったのですが、「どんな商品でも売ってくるのが営業です」と言われました。

「どんな商品って、僕のことか?」、

さすがに苦笑しましたが、先方の研究所長さんからは、ビックリするぐらい高額の年俸を提示されました。

この年俸額には、人材紹介会社の営業マンの方も驚いたようで、当然、僕はそのまま引き受けるものだと思っていたようです。

しかし、結局お断りする事となりました。この仕事と農業の仕事とは両立できないと思ったからです。

当時、たまたまある介護施設を訪問する機会がありました。入所している高齢者の方々を見ながら、人間、いつかはこうなるのだし、いつかは死ぬんだなぁと思いました。

そして、やっぱりやりたい事をやらないで一生終わるとなると後悔するだろうなと思いました。

提示された年俸額には惹かれましたが、やりたい事を優先させる事にしたわけです。

撤退戦再建戦では、取れるものは取り、なりふり構わず行動する事は必要です。同時に「やりたい事」が出来なくなるような事はしないと言う事も必要なのです。

「非道い」ことでないなら、なりふり構わず行動すべき

アニメで「外道」と言う言葉が出てきます。

元々は仏教用語でお釈迦様が仏教を説き出した時、別の説を主張して従わなかった人達の事を指して言った言葉です。

キリスト教の世界なら「悪魔」と言うところかもしれません。そう言えば、「鬼滅の刃」は、アメリカでは、「デーモン・スライヤー」と訳されているそうです。デーモンは「悪霊」の意味を持っており、デーモンスレイヤーを直訳すれば「悪霊退治」となるでしょう。

一方、「非道」と言えば、人の道に反する事で、形容詞化すると「非道い(ひどい)」になります。

人を襲って、持ち物を略奪するような行為は、鬼の仕業、非道い行為なわけです。

このような外道・悪魔・悪霊・鬼のような「非道い」行為はもちろんすべきではありません。

しかし、撤退戦・再建戦においては、非道い事でなければ、なりふり構わず行動すべきです。

僕の知り合いに、とある商業施設内でレストランをやっている人がいます。この人は、当初、レストランの入り口にあるゲーム機を置こうとして、施設側から難色を示されました。

しかし、結局、設置したばかりでなく、その後、2台目の機械も置きました。1台目を置いた時に「なりふり構ってなんかいられない。売上をあげるんだ」と言ったのを、僕はよく覚えています。

施設側は難色を示したと言っても、絶対ダメと言ったわけではないですし、設置自体が契約や法律に違反するわけでもなかったようです。

もちろん、ゲーム機を置く事は悪魔や鬼のような非道い行為ではありません。店の出入り口付近の「美観」は多少損ねるかもしれません。しかし、レストランに入るお客さんだけでなく、前を通る人もちょっとゲーム機で小銭を使ってくれるなら、施設全体としても売上げアップにつながります。

撤退戦・再建戦に際しては、非道い事でない限り、なりふり構わず行動しましょう。

取れるものはしっかり取る

「駒得は裏切らない」と言うのは、将棋の森下卓九段の言葉です。

タダで相手の駒を取るとか、「歩」みたいな価値の低い駒と「飛車」のような価値が高い駒を交換するのが、「駒得」です。

将棋は一度に1手づつ指せません。ですから、駒を取る場合、「取りに行く手」、「取る手」と、最低2手がかかります。

場合によっては、駒を取った後の「形」が良くない、元の形に戻る必要があると言う事もあるでしょう。すると、「駒を取る」ためには、元に戻る手を入れて、3手以上かかる事もあるわけです。

ですから、価値の高い駒を取って得をしたと言っても、何の代償もないと言うわけではありません。

特に2手も3手もかけている間に、自分の王将が詰んでしまうと言うのでは、意味がありません。

しかし、即座に自分が詰んでしまう可能性がない場合は、手数がかかっても、「形」が悪くなっても、実際に駒を取れば、その駒を盤面に打って使えます。「守り」でも「攻め」でも好きな事に使える駒を持てれば、選択肢が増します。

選択できるのが「この手しかない」と言う状態と、いろいろ選べると言う状態では、「選べる」状態の方がより有効な手を指せる可能性があると思われます。

つまり、選択肢が多い方が「勝ちやすい」わけです。

それで、森下九段は「駒得は裏切らない」と述べたのでしょう。

撤退戦・再建戦でも同じ事が言えます。

生命が助かる事を最優先にして取りあえず逃げ延びる事を考えている時に、他のものを残そうとするのは、間違いです。

最悪の時のここまで後退すると言う「最低防衛線」を決める

災害時に荷物を取りに戻って、生命を失うのと同じです。

しかし、逃げ遅れる可能性がないなら、残せるものは残す、取れるものは取ると言うのが正しい選択です。

みっともないとか浅ましいとか、恥ずかしいとか、そういう見栄は捨てましょう。撤退戦・再建戦の時は、なりふり構わず取れるものは取って、将来の再建・再開のために蓄えておきましょう。

価値観の崩壊に対処する

今までやってきた事業・企画・活動が続けられず、撤退戦・再建戦をやる場合、厄介なのが価値観の崩壊です。

実を言うと、撤退後の状態に馴染んでしまう人には、価値観の崩壊は起きません。

再開までの手順を決める

「今までの事業や活動が続けられなくても生きていけるのだったらそれでいい、こう言う生き方も悪くない」と撤退した後の状態に馴染める人と言うのは、元々、あまり、やっていた事にこだわりがなかったのだと思います。

僕はけっこう「馴染んでしまって再開・再建を考えない人」を見てきました。職場で「今後の企業のあり方」みたいな事について高説を語っていた割には、何もしてくれない上司とか、環境問題なり福祉なり教育なりの課題について「こうすべきだ」、「ああすべきだ」と強硬に主張していたのに、結局、活動を辞めて何もしなくなった人とかです。

そういう人達と言うのは、「今後の企業のあり方」についても「環境問題」についても、実はどうでも良かったのです。その時は高説をぶったり強硬な主張をしても大丈夫な状態だったから言っていただけで、本当にその思想を信じていたわけではなかったのです。

ですから、「撤退した後の状態に馴染んでしまえる人」には「価値観の崩壊」は起こりません。信じていない価値観は崩壊しようがないからです。

価値観の崩壊が起きうるのは、本気でその事をやろう、やりたいと思っていた人の方です。そう言う人でなければ、いったん撤退した後、なんとか再建・再開を考える事はできません。

しかし、本気で信じていたからこそ、その信じていた事が実現しない現実に直面しての価値観の崩壊が起こりうるのです。

ここで道はいくつかに分かれます。

一つは「負け」を認められないまま「凝り固まる」生き方です。

自分が信じていた事は正しかったんだ、だけど、実現出来なかった、それは実現できないような状況が悪いんだと言う方向で考えが凝り固まってしまうと、

「愚痴」を言い続ける事になります。

この生き方を選ぶと、価値観の崩壊を防ぎ、自分のプライドを保つ事が出来ますが、再開・再建はできません。

もう一つは、「負け」を認めるあまり、何もかも捨ててしまう生き方です。

自分が信じていた価値観は間違っていたんだ、信じていた自分も間違っていたんだ、自分がなにかをしようとする事自体が間違いだと思ってしまうと、やはり、再建・再開はできません。

現実の壁は分厚く巨大であって、自分には絶対に超えられないものだと諦めてしまう生き方も再建・再開にはつながりません。

では、再建・再開につながる生き方と言うのはなんでしょうか?

自分の根底にある事を否定しない生き方だと思います。

自分がやった事も、信じた価値観も間違いだったかもしれない、しかし、それをやったのは、信じだのは、世の中の役に立つと思ったからだと考えてみてはどうでしょうか。

「これからの企業のあり方」とか「環境問題」についての自分の認識なり行動なりが甘かったり、現実にそぐわない部分があったから、今、継続が難しい状態になった・・・

撤退戦に立ち至っている以上、それは事実です。

しかし、たとえ、それまでの認識や行動が現実にそぐわなかったとしても、「世の中の役に立ちたいと思った」と言う根底にあった動機は間違っていないわけです。

ですから、自分の根底にある事柄は否定しない、ただ、次にはそれが実現できるようにやり方を変えてみる・・・

これが価値観の崩壊に対処しつつ、再建・再開につながる生き方です。

再開までの手順を決める

今までやってきた事業・企画・活動が続けられない状態になったら「生き残る」事だけを目標にする撤退戦をしましょうとお伝えしました。

そして、生き延びる事が出来たら、旗を掲げる=自分はこれをやるんだと言う意思表示をするとお話しました。

最悪の時のここまで後退すると言う「最低防衛線」を決める

旗は降ろさない。生き延びる事が出来たら直ちに振る

旗を掲げる事が出来たら、次は再開までの手順を決めましょう。

あくまで手順です。今すぐやる必要はありません。

ただ、これが出来たら次はこれをしようと言う手順を決めること、そして、その手順を守る事が大事です。

実は、撤退したまま再建が出来なくなってしまうのは、撤退後の状態に「馴染んでしまう」からです。

とりあえず、生き残る事ができた、これで生きていける、もうこれでいいではないか、そう言う風に思う事が、撤退後の状態に馴染むと言う事です。

そう言う風に馴染む事は、別に悪い事ではありません。なぜなら、それで生きていけるからです。

ただ、本当にそのテーマについてやりたいと思っているのなら、撤退後の状態に馴染んでしまったらダメです。馴染んでしまったら、再開・再建はできません。

今までやってきたことが続けられずに撤退した時には、時間、お金、諸事情などで思い通りにならないと思います。

そもそも、思い通りになるのでしたら、撤退する必要はなかったでしょう。

ですから、思い通りにならないから撤退した時に、今すぐ再開するのは無理だと思います。

しかし、手順を考える事はできます。例えば、残務整理が出来たら、これをしてみようとか、生活が安定したら、あれに取り組んでみようとか、そういう手順です。

「撤退戦」が大変なのは、当座、生き延びるための工夫、それまでの事業や活動から撤退する上での残務整理、今後の生活の安定のための努力など、様々な事を同時にやらなくてはいけないからです。

しかし、それらが片付き、とりあえず「落ち着いてみる」と、他の事に取り組む余裕が生まれてきます。

そこで、予め、「落ち着いたら再建のために次の事をする」と言う手順を決めておく事が大切なのです。

残務整理や当面の生活の方針が決まり、「あ、自分は落ち着く事ができた」と気づいたら、その時に、「次の事をする」と決めた手順通りの事を実行しましょう。

撤退後の状態に馴染まなければ、「落ち着く事ができた」時に「落ち着く事ができた」と気づけると思います。そして、馴染まずに気づけたら、「次の事をする」と言う手順通りのことが実行できると思います。

なお、「次の事」は大した事でなくてもいいのです。再開に向けて勉強するでも、勉強した事をブログに投稿するでも、お金が掛からずに実行出来ることはたくさんあります。

大事なのは、撤退中のドタバタが落ち着いた後に生まれた余裕を、「次の事」のために使うと言う姿勢です。

旗は降ろさない、生き延びる事が出来たら直ちに振る

「生き残る」事だけを目標にする撤退戦でも残す事ができるのが「旗」です。

つまり、「自分はこれをやるんだ」と言う意思表示です。

今、事業とか企画とか活動とか、そういう「目に見える形」の物は続けられない状態にあるとします。

続けられないからこそ、「撤退戦」をせざる得ないわけです。そして撤退戦の時には、最低限、自分が生き続ける事をすべてに優先すべきです。

最悪の時のここまで後退すると言う「最低防衛線」を決める

最低防衛線は「自分の生命」です。

自分が生き残る事以上になにかを残そうとして、生き残る事ができなくなってしまったら元も子もありません。

しかし、「目に見える形」が残せなくても、「自分はやるんだ」と言う意志を持つ事はできます。意志を持つ事にお金はかかりません。

そして、意思表示する事もタダで出来ます。

だから、どんな事があっても自分が掲げた旗は降ろすべきでないのです。そして、とりあえず、逃げ延びる事ができたなら、生き残る事ができたなら、直ちにその旗を振りましょう。

旗を振る、すなわち、「自分は生きているぞ、これをやるんだぞ」と言う事、これもタダで出来ます。

旗を振ることは、再建戦の第一歩なのです。

最悪の時のここまで後退すると言う「最低防衛線」を決める

食&農の分野でも、今までの事業・企画・活動が続けられなくなったと言う人はいると思います。

そうした方が「やり直し」をするための参考として「撤退戦、再建戦の戦い方」特集を始める事にしました。

特集第1回は、「最悪の時、ここまで後退すると言う『最低防衛戦』を決める」です。

今までやってきた事ができなくなったと言う理由は様々でしょう。

事情が変わった、他にやらねばならない事が出来てしまい時間が取れなくなった、お金が続かなくなった・・・などなど

では、もう辞めた、ギブアップ、何もしない・・・と決めるのでしょうか。

いや、もう一度、やり直してみよう・・・

そう考えるなら、まず、最悪の時はここまで撤退すると言う最低防衛線を決めましょう。

たいていの場合、簡単に最低防衛線は決める事ができます。

最低防衛線を「生きている事」に置けばいいからです。

僕は30代ぐらいの時、中近東の環境調査に関わっていました。現地で水質調査のための車を運転してくれたツーリストオフィスの社員は、元々難民出身でした。逃げ延びた先でタクシードライバーをしていたら、そこでもまた戦争が起きました。

別の場所に逃げていき、同じように難民出身のボスがやっている旅行会社に拾われて、そこで働く事になったのです。

町中に戦傷で手や足がなくした人がいたり、ミサイルが飛んできて穴が空いた建物を見せられたり、戦争の爪あとは、あちこちにありました。

しかし、生きていれば、再起を図る事ができます。ですから、最低防衛線は「生きている事」に置きましょう。

なお、アレもコレも残そう、持っていこうと言うのは撤退戦では禁物です。

アレもコレもと思うのは、災害の時に荷物を取りに戻って生命を失うのと同じ行為です。

いろんなものがなくなってもしょうがない、生き延びる事だけを考えよう、

それが、撤退戦の心得第1条です。