明治・戦前と比べれば、10倍、100倍の豊かさだから半農半X実現の可能性がある。

水道の哲学イメージ画像

「清浄にして豊富低廉な水の供給を図り、もつて公衆衛生の向上と生活環境の改善とに寄与することを目的とする。」

水道法第一条に書かれている制定目的です。

分かりやすく言うと、きれいで豊かに安い水道水を提供し、
衛生的な良い環境の中でみんなが暮らせるようにしようと言う事です。

この目的を水道以外の事でも実現しようとしてきたのが、日本の製造業です。

水道の蛇口を捻れば、きれいな水が豊富に安く出てくるように、
安い商品を豊富に社会に提供していこう

松下電器(現パナソニック)の創業者・松下幸之助さんは、
この「水道の哲学」を掲げていたそうです。

実は、これに類することは資本論の著者カール・マルクスも述べています。

「物質的富が溢流するに至った時、社会は各人は能力に応じて、各人には必要に応じてと書きつけるであろう(ゴータ綱領批判)」

「溢流」と言うのは溢れるほどの流れの事です。
物質的な豊かさが溢れんばかりになれば、人々は能力に応じて働き、必要に応じて受け取るようになるだろうと言う意味です。

え?、そんなの夢物語じゃない?

その疑問に答える前に、マルクスがこの言葉を述べてから約70年後、経済学者シュムペータが述べた言葉を
紹介しておきましょう。

「現在より所得が実質的に倍になれば、現在の社会問題の約8割は解決するだろう」。

マルクスがゴータ綱領批判を書いたのは1875年(明治8年)の事です。
シュムペータの言葉は1942年(昭和17年)、パールハーバー奇襲による日米開戦の翌年に述べられています。

そして、今はマルクスの言葉から約150年、シュムペータの言葉から約80年経っています。

この間に、「物質的富」はどのくらい豊かになったのでしょうか。

季刊経済理論に掲載された八尾信光鹿児島大学名誉教授の「長期経済統計から見た21世紀の世界経済」によると、
購買力平価換算GDPと呼ばれる指標で実質的な経済力を評価してみると、

1850年に日本は33でしたが、2015年には4,656
つまり、幕末時に比べ150倍豊かになっているとの事です。

アメリカは65→16339(約250倍)
イギリスは97→2287(約23倍)
中国は380→24667(約64倍)
インドネシアは22→2343(約106倍)

です。

一方、一人あたりで計算すると、
1950年には、
日本は、2950だったものが2018年には38687と13倍
アメリカは14686→54332(約3-4倍)
中国は688→22651(約33倍)
インドネシアは1234→10798(約8倍)

になっています。

このデータから見ると幕末明治期や第二次大戦前・戦中に比べると
豊かさは10倍、100倍の桁で増えており、

昔は植民地や途上国だった国ほど、伸び率は高い、
日本のように途上国と先進国の中間の状態だった国でも
10~100倍の豊かさになっています。

つまり、今から150年前、70年前に
マルクスやシュムペータが
「物質的富が溢れかえれば」とか「所得が倍になれば」
と言っていた状態は、今や実現されているどころか、

10倍、100倍と言う桁で膨れ上がっているのです。

現代は、『(幕末・明治・戦前・戦中レベルで考えた=今から10分の1、100分の1しか豊かでなかった貧しい時代の)「必要」に応じて』
全員に富を分配する事が出来るだけの状態になっているわけです。

幕末~第二次大戦前のレベルで言えば、
最低限生きていけるだけのものは保障できるし、
ちょっとした家電製品ぐらいなら、蛇口を捻れば水が出てくるのと
同じぐらい安く買える豊かさがあるのが、

今の日本なのです。

そう考えると、毎月10万円のベーシックインカムは
無理だとしても、

月1-2万円程度、国民全員の所得に「下駄を履かせる」ぐらいの事は
不可能ではないように思いますし、

やり方によっては、その「下駄」を3-5万円ぐらいに出来るかもしれません。

そう言う「豊かな社会」の中で一定程度の人が、半農半Xで生きると言うのは、
世の中の制度としても、個人的な努力としても、
可能性はあると思います。

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